読書感想文①−2 岩井圭也『夏の陰』
昨日はブログ投稿できず、三日坊主ですらない二日坊主になってしまいました…。
せめて今日2記事書きたいと思います。
私の一番苦手なこと「継続は力なり」。これを得意にすべく、頑張ります。
さて本題です。岩井圭也さんの『夏の陰』の読書感想文の続きです。
今日は「生と死」の視点から。
生も死も苦しみ
物語の中では、岳の父・浅寄准吾が和馬の父・泰文を撃ち殺してしまいます。
機動隊員だった泰文は、岳を守って犠牲になってしまったのです。
あまりにも唐突に訪れた死。
岳はその後、犯罪加害者の息子として父の罪を世間から背負わされる人生を歩みますが、一つ私が疑問に思ったことがありました。
こんなにも辛い人生なのに、岳が「死にたい」と思っている描写がなかったのです。
これほど陰の人生を送るなら消えたいと思っても不思議はないのに、岳は身を潜めて生きることを選択しています。死ぬという選択肢はむしろ最初から無いようです。
岳は父に人質に取られ、銃口を後頭部に突きつけられた時、死をすぐそこに感じたと言います。
それに、岳の命を助けてくれた泰文のためにも生きる義務がある。
岳の潜在意識にはこの2つの「死なない理由」があるような気がします。
実は泰文が岳を命がけで守ったのは、幼い頃岳が和馬の命を救ったことがあるからでした。
2人は覚えていませんが、泰文は岳に何年間も会っていなかったにも関わらず、見た瞬間「あの時の子だ!」と気づいたのでしょう。
命の連鎖。
技術の進歩で、もしかしたら私が生きている間に「永遠の命」が誕生するかもしれません。
それは間違いなく、人間の哲学を根底から覆すことになるでしょう。
生は間違いなく苦です。
私も3月に大学を卒業し、最初の会社ですぐに適応障害になり、「こんなに迷惑しかかけられない人間だし、これから先の将来も真っ暗だし、もう全て終わりにしたい」と思っていました。
今もまた適応障害をぶり返し会社を休職していますが、これからちゃんと食べていけるのか不安でたまりません。
それでも私は、生きていきます。
生は自分を苦しめますが、死は周りの人を苦しめます。
死んだ人の家族だけではありません。物語のように、その死の半径1キロくらいにいた人たちみんなに影を落とします。
死はコントロールできません。死神という概念があるのもすごく頷けます。
そう考えると、人には宿命のようなものがある気がしてきます。
岳と和馬が幼い頃に出会い、命を救ったこと。
岳の事件現場に泰文が駆けつけていたこと。そして命を救ったこと。
全ては繋がっている。因果。
小説だからでしょうか? 現実はもっとそうではないでしょうか。
なんだか哲学的になってしまいましたが、私も因果の中で生きる限り善い行いをしないとな〜なんてアホみたいな顔をして今思っています。
ありきたりな気がしますが、生と死の視点からの『夏の陰』読書感想文でした。
読んでくれた方、ありがとうございます!