セイナの文章鍛錬

言葉で生きていく

読書感想文① 岩井圭也『夏の陰』

 

昨日から始めた“習慣”の一つが、一日一冊読書。

 

恥ずかしながら大学生になった頃には全くと言っていいほど読書をしない人間になっていて、しようしようと思っているうちに大学4年間が終わってしまった人間なので、時間のある今、そして文章を書くことで生きていきたいと思っている今、この習慣を始めました。

 

最初に読んだ本は、岩井圭也『夏の陰』。2019年4月と、最近出された本です。

そこそこボリュームがあるので、昨日と今日でこの一冊を読みきりました。

 

「読書感想文」を書くのはいつぶりでしょう。高校の時は書いても書かなくても良いという選択できる宿題だった気もします。確実に書いた記憶があるのは、小学生の頃ですね。もう随分と昔すぎて、書き方、忘れてしまいました。

 

前置きはこのくらいにして、本題に入ります。

 

剣道の精神世界

この本は、犯罪加害者の息子・岳と、被害者の息子・和馬の、2人のお話。

2人の人生が剣道を以って共鳴する様を描いたお話です。

 

なぜ剣道の話を選んだのか。

私自身、剣道をやっているわけではありません。

いつも私に深く関わり支えてくれている人が、この2人のようにずっと剣道をやってきた人なので、この本を貸してくれました。

 

剣道や柔道など、「道」のつくスポーツって、他のスポーツとやっぱり性質が違うと思います。もちろん良し悪しという話ではありません。

私はスポーツ全般が大の苦手なので偉そうに語れる口ではありませんが、そんなスポーツを外側から観れる私だから感じ取れることもあると思います。

 

「道」に宿る精神性。

 

例えば剣道の場合、面・胴・小手という技を決めたとしても、それが「美しい」と審判に判断されなければ一本とはならないのです。

他にも残心の考え方や、数々の礼法なども、その精神性をよく表していると思います。

 

剣道は「剣道」という、一種の哲学なのですね。

 

本を貸してくれた剣道を長くやっている人からは、「不動心」をものすごく感じます。何と対峙しても決して動じない心です。約9年前に高校で出会った時から変わりません。

 

彼の中には屋久杉のような一本の太い幹があり、大抵の雨風ではビクともしないのです。

それに比べ私はすぐしなってしまいます。まるで蔦のように、他の幹がないとなかなか伸びていけないし、すぐに曲がってしまいます。

 

もちろんどちらにも良いところと悪いところがあると思いますが、彼のような太い幹は一朝一夕では築けないことを私は知っています。

 

剣道を知れば知るほど、彼の精神性に納得がいきます。

剣道は、相手がいて初めて試合が成り立つ競技です。しかし、ずっと対峙しているのは自分自身なのかも知れません。それなら、何にも動じないことに納得がいきます。

 

 

物語のクライマックスで、岳と和馬が最初で最後の試合をします。

岳視点で描かれる試合の描写には、思わず手に汗握ります。

 

幼くして殺人加害者の息子、被害者の息子とレッテルを貼られ、深い闇の中で息を殺して生きてきた2人。

その2人が15年もの間避け続けてきた互いとの対峙。しかしそれは同時に、相手を通した自分との対峙だったのです。

この試合を通して、2人はやっと檻から脱出し、「父の人生」ではなく自分の人生を歩んでいくのでしょう。

 

だからこの試合から、怯えるほどの狂気と同時に、唯一無二の美しさを感じたのだと思います。

 

剣道に関して、私は部外者です。

でもその精神世界は羨望の眼差しで見ています。

 

岳は「生きるために剣道をしている」と言います。

和馬もそうでしょう。

 

被害者である和馬の父がずっとやっていた剣道。

岳はその剣道と逃げずに向き合うことで、せめてもの償いと葬いをしようとする。

和馬は父と同じ道を歩むことで、父と永遠に繋がろうとする。

 

2人は剣道を他者のためにやっていたが、いつしか自分自身と一体化している…。

そして彼らはその自分自身を超えていく。

剣道で大切にされる「守破離」の哲学を彼らは体現していたのではないかと書きながら今気づき、妙に感動しています。

そういうことだったのか。

 

書くことはこれだからやめられないですね。

自分自身も気づいていなかった思考に気づかされる瞬間。たまらないです。

 

明日は剣道という視点を離れ、生と死の視点から読書感想文を書きたいと思います。